2024年3月21日の朝、衝撃的なニュースがテレビから流れてきました。
MLBロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手の通訳で有名な水原一平さんが、違法賭博に関与し大谷翔平選手の銀行口座から450万ドル、日本円で6億8000万円を流用した容疑で、ロサンゼルス・ドジャースを解雇されたのです。
結局、水原一平さんは大谷翔平選手の銀行口座から24億5千万円を横領していることが分かりました。
水原一平さんは大谷翔平選手と並んで人気があり、水原一平さんが画面に映ると場が和んで見えるなど、優しく落ち着いた雰囲気が人気でした。
大谷翔平選手とセットで好きだという声も。
野球に興味がない私は、どちらかちうと水原一平さんメインで観ていました。
水原一平さんはなぜ大谷翔平選手とはどこで出会って、大谷の通訳になったのでしょうか。
日ハム時代に通訳をしていた時の仕事ぶりはどうだったのでしょうか。
今回は、水原一平はなぜ大谷翔平選手の通訳になったのか、大谷翔平選手との出会いと日ハム時代の仕事ぶりを調査します。
水原一平はなぜ大谷翔平の通訳になった?
北海道日本ハムファイターズで二刀流で活躍していた大谷翔平選手がMLBに挑戦する際、当時日ハムで通訳を務めていた水原一平さんに、専属通訳として一緒にアメリカに来てほしいと声をかけたのがきっかけでした。
メジャー移籍の何年も前から目を付けていたとか(笑)
大谷翔平選手は、花巻東高校のころからMLBに挑戦したいと思っていて、そもそも日本のプロ野球に入団するつもりはなかったそうです。
大谷翔平選と言えば、夢を叶えるためのマンダラチャートを作っていたことが有名ですよね。
3日坊主の私には縁遠いものですが。
あれって書いただけで満足しちゃう人が多いですが、大谷翔平選のように夢をかなえたいならマンダラチャートを元に行動しないといけないんですよね。
耳が痛いですね(^-^;
球団スカウトと栗山英樹監督の熱心な入団交渉があったそうです。
母国のプロリーグで実力をつけた選手の方がMLBで活躍できる確率が高いことや、「二刀流」の育成プランなどの30ページにわたる資料が提示されました。
球団が自分のことを考えてくれていることを知り、その内容に納得して入団の意思を固めたそうです。
水原一平さんと大谷翔平選手は馬が合ったことも大きな理由でしょうね。
2人は仲が良く、選手と通訳として以外の場所でも一緒のところを目撃されています。
身長が193cmある大谷翔平選手の隣に並んだ時に、背が低いのかと錯覚してしまいますが、実は水原一平さんも身長が183cmあるんですよ!
それに、水原一平さんと大谷翔平選手は、年齢が10歳も離れているようには見えませんね。
日ハムで同僚だった水原一平さんの実力や人柄を見て通訳に指名したんでしょうね。
言葉が通じない新天地で、心強い存在だったのでしょう。
アリゾナ州テンピ🌵キャンプ4日目を終えた #大谷翔平 選手。笑顔でチームメイトとコミュニケーションをとっていました!リアクションも🇺🇸風!?
それでも専属通訳 #水原一平 さんは無くてはならない存在のようです!#平昌もいいけどテンピもね #LAASpring #Shotime pic.twitter.com/NFfrngow8U— テレビ東京「みんなのスポーツ」 (@TVTOKYO_sports) February 18, 2018
日本の野球の外国人選手のインタビューと逆で、日本語が分かるのがなんかうれしい😃
改めて通訳ができる人ってすごいなぁ✨✨✨
大谷さんも一平さんもカッコいい💖— カープちゃん⚾️ (@31NkNH60TEjdNBJ) August 2, 2021
水原一平と大谷翔平の出会いは?
水原一平さんと大谷翔平選手の出会いは、北海道日本ハムファイターズです。
水原一平さんは2012年に日本に戻り、日ハムに雇用されます。
大谷翔平選手は花巻東高校卒業後の2013年に入団しました。
高校生の時は「みちのくのダルビッシュ」って言われてたのが懐かしい(´∀`*)ウフフ
それが今ではMLBで対決すろ立場になってて、すごい意志の強さ!
水原一平さんは誰とでもコミュニケーションをとるのが上手そうなので、大谷翔平選手ともすぐに仲良くなったんでしょうね。
水原一平の日ハム時代の仕事ぶりは?
水原一平さんの日本ハムファイターズでの評判は上々だったようです。
経歴では、2012年2月に岡島秀樹選手の通訳としてニューヨーク・ヤンキースに採用されたのですが、岡島選手が契約解除になったのをきっかけに、水原一平さんの採用も取り消されクビになったことになっていました。
2024年3月25日に岡島秀樹選手が「水原一平さんにお世話になったことはない」と表明しました。
学歴だけでなく経歴まで嘘だったんですね。
そういえばアメリカで生活している友達が以前、アメリカでは簡単にクビを切られて職を失うのは当たり前という怖い話をしていたのを思い出しました。
それに、最終学歴で最低賃金が決められているらしく、大学院を卒業した人が生活が苦しいからと言ってコンビニでバイトしようにも、時給か高くなりすぎて雇ってもらえないそうです。
友達の旦那さん(アメリカ人)は、大学院を卒業したけど気に入った就職先がないっていうふざけた理由で無職を選択。
株の運用で生活してるそうです。
でも、生活できてるんならええんちゃうん、と思ったのは私だけ?
日本人とってアメリカの社会は想像以上にキビシイ(T_T)
話がそれてしまいましたね( *´艸`)
2012年に日本に帰国し、日ハムに雇用され、当時の外国人選手とその家族の通訳や生活サポートまで通訳の仕事の範囲を超えた仕事ぶりでした。
選手だけでなく、その家族にも「連絡があったらすぐ駆けつける」と配慮するなど献身的なサポートをしていたそうです。
水原一平さんは休日でも、日本語が話せない彼らと一緒に買い物や食事に出かけていたそうです。
特に単身で来日していた外国人選手にとって、水原一平さんとの野球以外の時間はリラックスできる貴重な時間だったそうです。
水原一平さんは日本人選手からも「一平ちゃん」の愛称でよばれ、頼まれればキャッチボールの相手を務めるなどみんなから好かれていたそうです。
記者会見にも協力的なため、記者からも評判が良かったそうで、ショックを隠せない信じられないとコメントするスポーツ記者が多いですよね。
人は良いんですよ!人は!
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まとめ
今回は、水原一平さんはなぜ大谷翔平選手の通訳になったのか、大谷との出会いと日ハム時代の仕事ぶりを調査しました。
- 水原一平さんがなぜ専属通訳になったのかは、MLB挑戦を決めた大谷翔平選手から頼まれたからです
- 水原一平さんと大谷翔平選手の出会いは、大谷が2013年に北海道日本ハムファイターズに入団したときです
- 水原一平さんの日ハム時代の仕事ぶりは、通訳の仕事はもちろん、選手の家族との買い物や食事なども積極的につきあい、頼られる存在でした
野球に興味がない人でも、大谷翔平選手と水原一平さんのことは知っていますよね。
水原一平さんは大谷翔平選手に並ぶ人気がありましたが、今回のスポーツ賭博事件でロサンゼルス・ドジャースを解雇され、大谷翔平選手からの信頼も自ら失う残念な行動をとってしまいました。
ニュースを見た時は、誰しもがフェイクニュースか誤報だと思いましたが、自分はギャンブル依存症だと認めたそうです。
奥さんがを悲しませるようなこと、もうしないでほしいです。
これからどのような道を選択されるのか分かりませんが、奥さんと頑張ってほしいですね。
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