バリバリのキャリアウーマンから小料理屋の女将までいろんな役を演じ分ける実力派女優の森口瑤子さん。
最近では、MBSの「プレバト」で俳句の才能をみせ、2023年5月時点で「名人5段」!
ドラマや映画だけでなくバラエティー番組にも度々出演されていますが、あまりプライベートの話をされないので、いつ結婚したのか夫の職業や子供のことなどはあまりメディアにあがることはほとんどありませんでした。
しかし、調べてみてビックリ!
いろいろ情報がでてきましたよ。
森口瑤子さんはいつ結婚されたのでしょうか?夫の職業はなんでしょうか?子供は何人いて何歳なんでしょうね。
森口瑤子はいつ結婚したの?
森口瑤子さん1998年に脚本家の坂本裕二さんと結婚されました。
坂元裕二さんとの出会いのきっかけは1996年7月に公開された「ユーリ ЮЛИИ」でした。
坂本裕二さんの初監督作品であり原案・脚本を手掛けた映画で、この映画に森口さんが葉子役として出演したことで交際がスタートしたそうです。
フランスワールドカップの日本戦を観戦したあとに、マレーシアでプロポーズ!
2年間の交際期間を経て、めでたく結婚に至ったのでした。
森口瑤子のデビューのきっかけは?
森口瑤子さんは東京都葛飾区出身で1966年8月5日生まれの56歳(2023年5月現在)。
小学校4年生の時にテレビで視た「ウエストサイドストーリー」のベルナルド役を演じたジョージ・チャキリスさんに恋心を抱き、同じ仕事をすればジョージ・チャキリスさんに会えると考え「将来の夢は女優さん」になったそうです。
中学生の時からオーディションを受けまくるもどこも受かりませんでしたが、1983年の高校生で17歳の時に「ミス映画コンテスト」で「ミス松竹」に選ばれ、輝かしい女優人生がスタートしました。
同年12月に公開された「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」で灘陽子(なだ ようこ)の芸名で女優デビュー。
後にテレビドラマに出演するようになってから今の芸名の「森口瑤子」に改名したそうです。
森口瑤子さんは共立女子短期大学に進学しましたが、在学中に「NHKニュースワイド」でお天気キャスターを務め、卒業後にはトーク番組のアシスタントを複数務めるなど、女優以外にも活躍の場を広げていきました。
この頃女優としては「面白くない」「個性がない」などとダメ出しされていたそうです。
意外ですね。
森口瑤子の夫の職業は?
森口瑤子さんの夫は脚本家・作詞家・戯曲家の坂元裕二さんです。
2023年の第76回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に正式出品された「怪物」で脚本賞を受賞されました!
坂本裕二さんは2016年から東京芸術大学大学院の映像芸術学科の教授を務めたのですが、2023年に執筆専念にむけて退官されたそうです。
坂元裕二さんは大阪府出身で1967年5月12日生まれの56歳(2023年5月現在)。
高校時代には、相米信二監督の映画や中山健次さんの小説を中心に色々な監督や作家の作品を見たり読んだりしていたそうです。
高校卒業後、お好み焼き屋でバイトをしながら脚本を学び、1987年「第一回フジテレビヤングシナリオ大賞」を19歳で受賞しデビュー。
「フジテレビヤングシナリオ大賞」は野島伸司さん・浅野妙子さん・橋部敦子さんなど、超人気脚本家を輩出しています。
応募条件に「自称35歳まで参加可」という面白い規定があるそうです(笑)
同時期にディレクターズ・カンパニーが行っていた脚本募集にも応募したのですが、そちらでは採用されなかったたそうです。
上京後はテレビ局のアシスタントをしながら脚本の腕を磨いました。
1991年、23歳の時に脚本を担当した「東京ラブストーリー」が大ヒットし、最高視聴率は32%「月曜日の夜9時は街から女性たちが消えた」と言われるほどの社会現象を巻き起こしました。
次々とラブストーリーの執筆依頼が舞い込むようになり、トレンディドラマの旗手として脚光を浴びました。
2010年に放送された「Mother」は当時5歳だった芦田愛菜さんの出世作で、ネグレクトや過剰な母性神話による抑圧をテーマにした社会派サスペンス作品です。
ストーリーが素晴らしいのは勿論のこと、あのちっちゃかった愛菜ちゃんの演技が自然なもんだから、よりストーリーに集中できて毎週泣いていた記憶があります。
当時の放送翌日の合言葉は「きのう視た?」でした。
2017年に放送された「カルテット」もファンが多い作品で、「あのシーンが好き」「あのセリフが刺さる」などそれぞれにお気に入りがあった作品でした。
例に上げたのはごくごく一部、それ以外にも「大豆田とわ子と3人の元夫」「問題のあるレストラン」など、たくさんの高視聴率ドラマの脚本を手掛けています。
ドラマ以外にも映画や戯曲、ゲームのシナリオに松たか子さんや織田裕二さんの楽曲の作詞など、「え!あれもなの?」と驚くほどたくさんの作品を生み出し続けています。
坂元裕二さん、じつは1996年に「明らかにテレビ業界が嫌で逃亡してしまった」という理由で脚本家業を休し、一時的にテレビ業界から離れ、映画やゲームのシナリオ執筆や脚本構成・脚本協力の仕事をしながら、小説の執筆もされていたそうなんですが、3年間1つの小説を書き続けた結果、原稿用紙2000枚ほどになったうえ終わらせ方も分からなくなってしまい出版には至らなかったそうです。
結局5年ほどの逃亡生活ののち、「気が付いたら貯金が2万になっていた」という理由で復帰されたそうです(笑)
この休養期間中に森口瑤子さんと結婚し、子供の誕生を経験しています。
森口瑤子に子供はいるの?
森口瑤子さんと夫の坂元裕二の間に、2002年に女の子が誕生しています。
その当時、夫の坂元裕二さんはテレビ業界から離れ脚本を書くのをやめていた時期だったので、自宅で執筆活動を主にされていた坂元裕二さんが主夫的ポジションで育児をされていたそうです。
子供の学校のお弁当を12年間どんなに忙しくても夫婦で交代で1日も休まず作ったそうです。
森口瑤子の子供は宝ジェンヌ
子供の名前は坂元南月さんで2021年に宝塚音楽学校に入学されたそうです(109期生)。
坂元南月さんの芸名は「朱鷺あおい(とき あおい)」だそうです。
2022年6月1日に森口瑤子さんの子供が、宝塚音楽学校に在学中であることが、Yahoo!ニュースで報じられています。
坂元南月さんも最初のチャレンジでは合格することができなかったようですが、宝塚音楽学校は受験資格の関係から4回までは受験できるので、複数回のチャレンジを経て合格を勝ち取ったそうです。
宝塚音楽学校は毎年超難関といわれテレビでも特集されるほどですが、坂元南月さんが入学した2021年度は、募集人数が40名に対し、受験者が697名もいたそうで、その倍率は17.4倍にもなったそうです。
森口瑤子さんは大の宝塚ファンであることを公言しています。
森口瑤子さんが45歳の時に、お付き合いで観に行ったことがきっかけで宝塚にドハマリしたとか。
舞台だけでなく、家でも配信や専門チャンネルでほぼ毎日チェックほどの宝塚ファンなんだそうです。
森口瑤子さんは坂元南月さんのお稽古事のサポートをしていたそうで、喜びもひとしおだったでしょうね。
坂元南月さんは宝塚音楽学校を2023年に卒業、4月の雪組公演で初舞台をふまれたそうです。
まとめ
森口瑤子さんがいつ結婚したのか、夫の職業と子供について調べました。
- 森口瑤子さんがいつ結婚したかについては、1998年でした
- 夫は坂元裕二さん
- 職業は脚本家・作詞家・戯曲家
- 子供の名前は坂元南月さん
- 坂元南月さんは2021年に宝塚音楽学校に入学(109期生・2023年卒業)
- 坂元南月さんの芸名は「朱鷺あおい(とき あおい)」
ご夫婦ともにSNSを活用されていますが、ご家族についてはほとんど発信されていませんでした。
インタビューでも家族についてはほとんど語られることはなかったのですが、時折見える家族の様子はとても微笑ましい、温かい仲良し家族そのものでしたね。
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